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劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの考察2(ネタバレ注意)「ヴァイオレットが少佐に宛てた手紙」の考察

更新日:2 日前

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、裏設定として2019年7月に起こった事件のことを比喩で語っていると考えている。


①劇中に今回の事件のことを示す比喩がある。

ヴァイオレットがギルベルトのおもちゃの入った箱を持って船上に出た時に、船が波に揺られたためよろけて大佐に支えてもらったシーンがある。そもそも人並み外れた身体能力を持つヴァイオレットがよろけることだけでも奇異な感じがするが、この箱の中で傾いた2つのおもちゃ、兵隊が持った銃(銃には着火装置がある)と傾いた軍用車(傾くことでタンクからガソリンが外に漏れる)の組み合わせは、今回の事件のマイルドな比喩になっていると考えると腑に落ちる。

新型コロナのことと思われる比喩もある。

ベネディクトの服に書かれていたBっぽい文字はテルシス語のBでベネディクト・ブルーの頭文字と同じなので彼の名前のイニシャルであることは間違いないが、イニシャルのつもりなら、B.Bの方がしっくりくる。(クラウディア・ホッジンズ郵便社のイニシャルはC.H郵便社である。) 京アニは一つの事柄に複数の意味を持たせる手法をよく使うのでさらに深読みすると、このBっぽい文字は「WHOのロゴマーク」の一部で使われている図柄によく似ている。そして、テニスラケットの形を、新型コロナウイルスの先端が丸っぽい「棘」の一つと見立てれば、ラリーが続かずボールがベースラインを超えてしまったのは、WHOの当初の予想が外れて感染をコントロールできず、パンデミックになってしまった比喩と解釈可能である。



②劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンHPのメッセージの疑問 「あいしてるってなんですか? かつて自分に愛を教え、 与えようとしてくれた、大切な人。会いたくても会えない永遠に手を離してしまった、大切な大切な人。」


「会いたくても会えない。永遠に。手を離してしまった、大切な大切な人」とは、果たしてギルベルトのことを言っているだけなのか?これが今回考察したい疑問である。


③始めに本考察の結論を示す。

劇中の「ヴァイオレットが少佐に宛てた三通の手紙」は、文中の「少佐」という文字だけを読み替えると、京アニの現スタッフから亡くなられた方々へ宛てた手紙になると考えている。(または、ヴァイオレットから亡くなられた方々へ宛てた手紙としてもよい。その場合、物語の登場人物という枠を超え今回の事件に心を痛めたヴァイオレットが、京アニの残されたスタッフと一心同体になり、ギルベルトだけでなく、亡くなられた方々へにも宛てた手紙ということになる。)

以下、この「仮説」を検証する。


前提として、以下のシーンが今回の事件とシンクロする。

1)エリカとの再会時にホッジンズが言った「強く願うと思いは叶うものだな」に対し「強く願っても叶わない思いはどうすればいいのでしょうか。」とヴァイオレットが呟いたこと。亡くなった人に帰ってきて欲しいと強く願っても叶わないこととシンクロする。

2)ヴァイオレットがC.H郵便社自室でインテンス最終決戦を回想する一連のシーンから

(1)敵が投げた手りゅう弾の激しい爆音のシーン:あの事件で起こったガソリンへの引火とシンクロする。このシーンはテレビ版で使用したシーンを流用している。ということは、あの事件の前と後でこのシーンの重みが全く変わってしまった。テレビ版でこのシーンを見るだけであの事件がトラウマとして思い出されてしまうという意味でもある。

(2)ヴァイオレットが腕を斜め上に伸ばしたシーン:当初腕は真っ直ぐ伸ばしており、ギルベルトがインテンス最終決戦で信号弾を打ち上げた時の動作をヴァイオレットが模したのだと分かるが、その後横から見たシーンで何時の間にか腕は斜め上に伸ばしていて見る人に不自然な印象を与える。まさか疲れて腕の角度が下がった訳ではあるまい。この腕の角度は地上から二階や三階の建物の窓に伸ばした角度を想起させる。あの事件で、あの時あの場所に駆けつけて、燃え盛る建物の窓に向かって、「大切な大切な人」に伸ばしたかった手、救出しようと手を掴んで外へ引っ張り出すことが出来なかった、結果的に「離してしまった手」のことを意味しているのではないだろうか。それは、亡くなった方を助けたかった、助けることのできなかった後悔や悲しみとシンクロする。

※それでも、あの時現場に駆け付けてくれた救急隊やご近所の方々の懸命な救出が多くの命を救ったことは報道でよく知られている。

(3)その後、椅子に座るヴァイオレットの後ろ姿(後ろ姿のため顔も目も見えない)と10秒程の無音のシーン:黙祷と考えるとあの長い静寂も腑に落ちる。そうであるならばあの時ヴァイオレットは目を瞑っていたはずである。

(4)部屋の明かりと窓枠によって浮き上がった十字架の形をした影のシーン:そのままの意味であろう。


④第一の手紙

それでは、実際の手紙で「仮説」を検証したい。

以下、「少佐」と書かれた箇所を( )で伏字にして、第一の手紙を全文掲載する。

(story boardから引用)

親愛なる( )。また今日もあなたのことを思い出してしまいました。何を見ても何をしても、あなたの思い出が蘇ってしまうのです。時間が過ぎ去り遠ざかっても、あなたと過ごした記憶が鮮やかによみがえります。あなたは私をそばに置き、何も出来ない私に生きる術を教えて下さり、そして私にはじめて「愛している」その言葉を与えて下さった。だから、こうしてまた手紙を書いてしまうのです。いつかこの手紙が届くことを願って。願いが叶うことを祈って。


亡くなられた方々へ宛てた手紙と考えても全く矛盾しない手紙である。「忘れられない」「会いたい」という思いがあふれている。


⑤手紙ではないが他にも亡くなられた方への思いとシンクロするシーンがある。

1)墓地でのディートフリートとの会話:ヴァ)忘れるは難しいです。生きている限り忘れることはできません。

2)船でのディートフリートとの会話(上記おもちゃの箱のシーンの直後):デ)無くしたものは大きいな・・。お前も・・オレも・・。この間は悪かった・・。二度と会えない、忘れろ・・などと・・。オレだって忘れることはできない・・。ヴァ)・・・。はい・・。デ)また会えたら謝りたいことともそれから話したいことも・・。ヴァ)・・・。はい・・。


⑥次に第二の手紙を検証する。

第二の手紙は、エカルテ島に向かう船の上で書かれたものである。第一の手紙と同じく少佐と書かれた箇所を( )で伏せ字にする。

( )本当にお久ぶりです。お目にかかれない間も、毎日毎日、( )の事を考えておりました。そして、祈りが通じて、願いが叶って、いつかお会いできたら。

<ここまで読んだ時、強い風が吹きヴァイオレットの手から手紙が離れてしまう。>

この手紙もまた、亡くなった方々を「忘れられない」、亡くなった方々に「会いたい」が溢れている。しかし、それは現実には叶わない。悲しいがそのことはわかっている。風に飛ばされた手紙はそのことを意味している。


⑦これも手紙ではないが、ギルベルトに拒絶され失意のまま灯台に来た時のホッジンズとヴァイオレットとの会話は重要な意味を持っている。

ホ)ギルベルトに会うんだろう、ヴァ)・・・・会いたいです。・・・会いたいです!!(・・・ですが・・ ・・・指切りを)

この「会いたい」だけは、京アニの現スタッフの「会いたい」と事情が決定的に違う。ヴァイオレットはこの時点ではピンチだが、雨の中の自宅訪問で今まで「消息不明」であった少佐が「生存」していることを直接確かめることができた。ゆえにこのシーンは、もう二度と生きて友人達に会うことのできない京アニの残されたスタッフにとっては、自分達の「会いたい」をヴァイオレットにシンクロすることができなくなった残酷な瞬間でもあった。だからこそ、京アニスタッフはヴァイオレットの「会いたい」をこの先かなえてあげよう。この作品をハッピーエンドにしようと誓った。そんな思いを感じさせるシーンである。


⑧最後に第三の手紙を検証する。

愛する人に贈る、最後の手紙である。

親愛なる( )。突然お邪魔したことをお許しください。これが( )に宛てて書く最後の手紙です。私が今生きて誰かを思えるようになったのは、あなたのお陰です。私を受け入れて下さってありがとうございました。本を読んで下さったり、文字や色々なことを教えて下さってありがとうございました。ブローチを買って下さってありがとうございました。いつも、いつも側において下さってありがとうございました。愛してる・・を・・ありがとうございました。( )が愛してると言って下さったことが、私の生きていく道しるべになりました。そして愛してるを知ったから、愛してるを伝えたいと思いました。( )ありがとうございました。今まで本当にありがとうございました。私は( )を愛しています。

意訳は必要である。「突然お邪魔をした」「突然この手紙でお邪魔した」=「突然この手紙を書いた」に替えてみれば亡くなられた方に宛てた手紙としても決して不自然ではない。また、「愛してる・・を・・ありがとうございました」についても、「『愛』がアニメ制作の基本であることを教えて下さってありがとうございました」。または、「私の能力、人柄を『愛してる』、さらに意訳して『認めている』と言って下さってありがとうございました」。としてみてはどうだろう。これなら、亡くなられた方々に宛てた手紙としても矛盾しないだろう。


ではブローチのくだりはどうか。ちょっとした言葉遊び(駄洒落)が使われていると仮定してみて欲しい。(京アニが時々大真面目に駄洒落を使うことは、これまで私が書いた幾つかの考察で度々指摘してきた。「氷菓」の関谷純以来、駄洒落で想いを伝えることは、京アニの正統な表現方法なのである。)

Wiktionaryを引くとbroochには、装飾品の意味のほかにA painting all of one color, such as a sepia painting.(セピア画のような、単色の絵)の意味もあるそうである。

「単色の絵」とは、エンドロールで流れたクレジット、すなわち黒の背景の中に白抜きで書かれたたくさんの「名前」(文字)を「単色の絵」と見立てたと考えてみて欲しい。そうすると「ブローチを買って下さってありがとうございました」は、もう一つだけ駄洒落を使うことになるが、「買って」を「かつて」と駄洒落で読み替えて、「ブローチをかつて下さってありがとうございました」にすれば、「あなた方のお名前をかつて教えて下さってありがとうございました」となり、意訳すると「あなた方と出会うことができてありがとうございました」「あなた方と出会い、共に働けた思い出をありがとうございました」と読み替えることができる。


ところで、最後の手紙の主たる内容は「感謝」である。ヴァイオレットがギルベルトに「あいしてる」を伝える手紙にしては、(この解釈には賛否両論があることは重々承知で言うが)、くどいくらいに「感謝」を強調しており、違和感を覚えた方もいるはずである。しかし、この手紙が京アニの残されたスタッフから亡くなった方々に宛てたものと考えるととてもしっくりくるのである。これ以前の手紙は、生前の故人に「会いたい」という叶えられない気持ちが主体だったが、この手紙は亡くなった方々への「感謝」の手紙、すなわち「愛を教えてくれたこと」、「自分達を愛してくれたこと」、そして「先輩として、後輩として、友人として出会えたこと」への「感謝」の手紙となっていると考えるとしっくりくるのである。

ちなみにギルベルトにとっては、自分が彼女を不幸にしたと思っている最中に、彼女から「感謝」の気持ちを告げられても、そうじゃないんだ。私は君に酷いことをしたのに君は思い違いしているだけなんだと余計頑なになってしまうのではないか。それどころか、穿った見方で申し訳ないが、ギルベルトがこの手紙を、インテンスで自分がした彼女へのプロポーズに対するヴァイオレットからの回答と取ったとするとどうだろう。手紙の内容が感謝を全面に出されていれば、もらった男性は普通はやんわりとした交際お断りの回答と解釈してしまうのではないか。


また、この手紙では感謝を強調する手紙のわりに、少佐がヴァイオレットという名前をつけてくれたことへの感謝の言葉がないことがネットでも批判されていた。「ヴァイオレットをありがとうございました。」などにして無理やり手紙に組み込んで、「紫色などの配色を教えて下さってありがとうございました。」というニュアンスにする手もないわけではなかったが、ブローチの置き換えとは余りに差があることから、おそらく断腸の思いで削ったと推測される。

しかし、ヴァイオレットにとっては、「ブローチ」と同等かそれ以上に「名前」をもらったことの感謝は重要である。そこでスタッフからヴァイオレット(二次元の創作物を超えた意思も感情もある京アニのスタッフと同志であるヴァイオレット)に、エンドロールにヴァイオレットの名が書かれているということは、「ブローチを買って下さってありがとうございました。」の比喩が成り立つなら「ヴァイオレットという名前をかつて(少佐が)下さってありがとうございました。」と読み替えることができる。それなら名前をつけてくれた少佐への感謝の気持ちは伝わると提案されたのではないか。また、エンドロールには石川さんの名前もあり、同様に「石川さんがかつて自分の役を演じて下さってありがとうございました。」と読み替えれば、石川さんへの感謝も伝えることができるからとスタッフから説得されたのではないか。とまで妄想する。

話が脱線したが、以上から、この手紙は京アニの残されたスタッフから亡くなった方々に宛てたものと考えるにふさわしい手紙なのである。


⑨手紙の最後の一文

これで手紙の最後の一文が読まれなかった理由は明らかである。外伝の最後のテロップ「君の名を呼ぶ。それだけで二人の絆は永遠なんだ。」が伏線になっている。

この手紙を京アニの残されたスタッフから亡くなった方々に宛てた手紙とするためには、今までは、手紙の中で「少佐」と読まれる度にそこだけは脳内で伏字にする必要があったが、音声がない分、ここで初めて本当の「名前」を堂々と呼べるのである。画面にテルシス語の手紙の最後の一文が写った時、京アニの残されたスタッフは、「私は( )を愛しています」の( )の中に亡くなられた方々の名前を入れてそれぞれの愛しているをスクリーンに向かって叫ぶことができるのである。最後の一文が読まれなかったのはその時間を作るためだったのである。ちなみに、野暮な考察だがこの時京アニの残されたスタッフが叫んだ「愛しています」は、あるスタッフにとっては「尊敬しています」だろうし、あるスタッフにとっては「生涯忘れません」だろう。


⑩最後に。京アニの残されたスタッフにとってこの作品を作ることが救いになったのか。「会いたい」が叶うとしたら、テレビ版10話副題の「愛する人はずっと見守っている」や、13話ブーゲンビリア夫人の言葉「あの子は、生きてる…心の中で。だから決して忘れない。思い出すたびに辛くても、ずっと思って生きていくわ。だって今も、愛しているんだもの。」という気持ちがこころから実感できた時なのだと思う。もしかするとそれが叶うのは「氷菓」で奉太郎が語っていた「歴史的遠近法の彼方で古典になっていく」時までかかるのかもしれない。

しかし、今回の事件はあまりにも辛すぎた。たとえ亡くなった方は戻らないと諦めようとしても「寿命」というにはほど遠い。また、亡くなった原因が病気であれば「運命」と言うこともできるが、そうであったとしてもユリスのようなこどもの死でさえこんなにも辛くてとても早々には諦め切れるものではない。それなのに「亡くなるはずのなかった命」がこんなにもたくさん奪われたのだ。

たくさん泣いて、後悔もして、忘れられない、会いたいと思って、しかしそれが現実には叶わないこともわかって、やっと一人一人に感謝と愛してるを告げる手紙を書こうという気持ちになった。京アニの残されたスタッフは今この段階なのだろう。京アニの残されたスタッフにとってこの作品を作ることが救いになったと思いたいが、まだまだ長い時間が必要とも思う。

ひとつ素敵な希望に気づいた。本作は映画化され、さらにはDVDにもなる。この手紙はこの先何十年にも渡って京アニの残されたスタッフに、そして同じ気持ちの私達にも繰り返し届けられるのである。この手紙はアンに50年に渡って届いた手紙と同じ役割をしてくれるはずなのである。

京アニの皆さん。素敵な作品(手紙)をありがとう。いつの日か皆さんの笑顔が取り戻りますように。


その他の「考察」も是非どうぞ。





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