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劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの考察1(ネタバレ注意)劇場版のギルベルトに京アニの決意がそっと隠されていると解釈できないこともない根拠

最終更新: 1日前



①ギルベルトの右手に原作ではある義手をつけていない:

京アニは今回の事件で代わるもののない「右手」を失ったことの象徴と解釈できないこともない。


②エカルテ島の島名:

フランス語「離れた」から「離島」を表す島名で矛盾しないが、ドイツ語のカルテとは医師の診療録の意味だけではなく、英語で言うとcard、用紙の意味でもあるので、駄洒落だが、絵カルテ(=作画用紙)島と解釈できないこともない。


③エカルテ島の形:

google earthで京都にある京アニのスタジオの周辺を探すと、桃山丘陵と京都東山に連なる丘陵(この丘陵の北側を横断している名神高速で切り離されていると仮定する)の2つの高台と、その間にある平地(ここに第一スタジオがあった。)を残し、残りは海に沈めた「架空の島」と見立てれば似ていなくもない。

追記:エーゲ海の小島であるフォレガンドロス島が特定された。ただし、京アニがこの島を選んだ理由は上記の架空の島と最も形が似ていたためと解釈できないこともない。そうであるなら、エカルテ島の真の聖地は、京都の京アニスタジオ周辺となる。


④島の学校:

地中海で見られる漆喰で作られた建物に似せているが、むき出しのコンクリートを思わせる四角い建物は被災後のあの建物を思い出させる。また、独立した建物が個々の教室として斜面を利用して建てられているが、正面から見ると一つの建物(3階は鐘)と見立てることができないこともない。2階部分の前面はテラス状で、そこから階段が伸びているが、休み時間に教室から出てきた子供たちが、鐘(火災報知器のベル)のなった瞬間一斉に、そこから外へ向かって逃れるかのように、階段を駆け降りたり手すりを滑り降りたりしている。あの時ニ階のテラスから外に降りることができる階段があったならという思いが込められているとするなら、この学校は事件のあった第一スタジオと解釈できないこともない。

追記:デイジーが訪れた時にあった街中に移転した郵便局の建物は、今回の事件で被害を免れた(あの事件の犯人が次の放火対象と考えていたのではないかと報道されている)京アニ本社に外観が似ている。室内をよく見ると、火災報知器らしきものが設置されている。


⑤学校の庭にある一本の樹:

設定上はオリーブの木となっているが、新聞(京都新聞2020.8.18)でも報道された、第一スタジオの庭に植えられていた「猛火を免れた桜の樹」とそっくりでそのオマージュと解釈できないこともない。60年後にデイジーが学校を訪れた時もそれは立派に存在する。DVDが発売されたら是非見直してほしい。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/332150

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン公式HP、「Goods」のぺージのイラストの中にも題字に隠れて見えにくいがこの木は描かれている。

http://www.violet-evergarden.jp/goods/


⑥ヴァイオレットとホッジンズが訪れた時の島の天候:

曇天は火災による煙の象徴と解釈できないこともない。そして、それが今も関係者のトラウマになって続いていると解釈できないこともない。


⑦エカルテ島の、ヴァイオレットを拒絶した時にギルベルトの家にあった暖炉の火

火災の象徴と解釈ができないこともない。


⑧教室の中にあったたくさんの四角い紙の束:

被災した第一スタジオ内のサーバーから奇跡的にデータを取り出すことができた電子媒体の原画と解釈できないこともない。


⑨ギルベルトの帽子:

ベレー帽は画家のアイテムと考えると、本作のギルベルトが残された京アニのアニメーター達の象徴と解釈できないこともない。


島のご老人

ベレー帽をかぶっていることから画家であろう。ネットで見ることのできるご尊顔と違い、アニメに出ているご老人は眼鏡をかけており髭も蓄えているがそれらを外すと、亡くなられたあの方かもしれない。「自分だけで背負うことはない、戻るところがあれば戻っていい」と言うと、ギルベルトは「ずっとここにいます」と答えた。この意味は、ここエカルテ島が自分が戻る場所です。(エカルテ島の真の聖地は、京都の京アニスタジオ周辺だから)。これに対し、ご老人は「そうしてくれるならわしらはうれしい」と返したのである。ご老人が持っていたあのかばんの中には今回の事件のために世に出ることのなかったすてきな絵がたくさん描かれたスケッチブックが入っていたのかもしれない。

追記:では眼鏡と髭の意味はなんだろう。テレビ版6話「リオンの回」の「行方不明になったリオンの年配のお父さん(リオンの回想シーン(静止画)で出てくる)」は眼鏡をかけ髭も蓄えている。ちなみにこの回の演出担当(=お父さん)はあの方である。


夕焼け

本来なら善いものの象徴だが、今回は火災を彷彿させ善くないものの象徴として使われていると解釈できないこともない。ギルベルトがヴァイオレットの手紙を読み終わり彼女のもとに駆け出す瞬間に、夕日が海に沈み(グリーンフラッシュの場面。そして挿入歌の「道しるべ」も始まるところでもある)、背景から急激に赤味が薄らいでいく。夕日が海に沈むことは、業火(火災のトラウマ)が消えた瞬間と解釈できないこともない。

ちなみに、前日降り続いていた「大雨」は、ヴァイオレットが流した涙の象徴であることはもちろんだが、今回の事件で多くの人達が流したも重ね合わせていると容易に想像される。そもそも水は火を消すことができるアイテムである。そうであるなら何故、天からもたらされた大量の水である雨は業火を消すことができなかったのだろうか。ヴァイオレットとホッジンズが訪れた時、ギルベルトは屋根のある部屋に閉じこもっていた。雨はいかにその勢いが強くとも部屋の中に入れないので暖炉の火を消すことが出来なかったのである。つまり、大雨では閉じこもってしまった彼の中の業火、火災のトラウマを消す(癒す)ことはできなかったのである。それはまるで北風と太陽の北風のようでもある。

しかし、同じ水でも母なる海に夕日が沈むことで火災を彷彿される「赤」は浄化され、業火(火災のトラウマ)は一度は完全に癒された。だからギルベルトはヴァイオレットの元へ駆け出すことが出来たのである。ところが夜になってしまうと、桎梏の「闇」が訪れて建物に充満した煙が作り出したあの日の「闇」と再びシンクロしてしまう。折角克服できたあの事件の記憶をまた呼び覚ましてしまう。そこで京アニが到達したこれしかないという尊い希望が、真っ白な月の光による闇の浄化だったのである。と解釈できないこともない。


⑫2人が海に飛び込んだこと:

海は生命の母であり、海に抱かれること、海に飛び込みそこから顔を出し現世に戻ることは、ギルベルトを現在の京アニのアニメーターの象徴とするなら、京アニの残されたスタッフがアニメ制作の現場に復帰することの象徴と解釈できないこともない。

追記:本作では善くないものの象徴である赤い夕日が海原の地平線に沈み(滅し)、それと入れ替わって海原の地平線から善いものの象徴である白く光る月が登った(生まれた)。このことから母なる海は胎児を育む羊水にも例えられよう。ギルベルトがヴァイオレットを抱き占めるクライマックスで、月は始めその光が波に映るだけで背景の夜空には直接描かれず、シーン最後のエカルテ島の全景が写った時に始めて夜空に輝く姿を見せたが、その前にそっと海から生まれ夜空に登っていった(闇を浄化していった)に違いない。


⑬島の灯台内部のらせん状の階段構造:

劇中では灯台内部が、らせん状の階段構造になっていることは分かりにくいが、よく見るとヴァイオレットとホッジンズが泊まった部屋も、下から登っていく入り口と、その反対側にはさらに上に登る出口があることから、この部屋は丁度、階段の踊り場に匹敵するような作りになっており、灯台内部のらせん状の階段構造の一部でもあることがわかる。また、灯台内部にらせん階段があることが分かる特典カードもある。

https://store.shopping.yahoo.co.jp/suruga-ya/892033257001.html?sc_i=shp_sp_search_itemlist_shsrg_img

ちなみに無線機のある部屋は、灯台の建物に隣接した平屋(追記 公式設定集ではこの平屋は旧郵便局の建物で、無線機はヴァイオレット達が泊まった部屋の上にある灯台守の方の部屋にあると書かれているので、私が勘違いしているのかもしれない。円盤が出たら確認します。)で、この部屋から灯台へ入る入り口があるので、この部屋そのものがらせん階段の一段目と考えてもよい。

追記 公式設定集で灯台内部の全貌が明らかにされ、概ね上記の解釈で矛盾しないことがわかった。上記で紹介した特典カードのイラストも掲載されている。


構造上、灯台内部にらせん状の階段があることはおかしくはないが、あの第一スタジオの「らせん階段」を思い出してしまう以上、無関係とは解釈しがたい。

映画では嵐の日にあの灯台の白い光が終夜360度、闇夜を照らし続けていた。亡くなった方々の魂が、やっとアニメ制作の場に戻ることの出来た京アニの残された仲間達が度重なる試練の中遭難しないように、らせん階段を上まで登って灯台の白い光となって一晩中照らし続けてくれたと解釈できないこともない。旧郵便局として使っていた部屋に蓋のついた壺(追記 公式設定集で水甕と判明)のようなものがあり、間違えていたら申し訳ないが骨壺のようにも見えた。

追記:このシーン(主人公達の灯台への避難とユリスの臨終のシーン)は物語の最大の山場でありピンチである。しかし、ヴァイオレットが、ユリスの手紙の配達と代筆をアイリスとベネディクトに頼むことを思いつき、アイリスが電話を使う決断をするという本編屈指のシーンにつながった。灯台の白い光となった故人達の魂(霊)がヴァイオレットやアイリスの決断、このシーンを作った京アニの残されたスタッフ達を励まし、道しるべとなったからこのシーンが生まれたと解釈できなくもない。

京アニの従来の制作姿勢からして、本作はあの事件が起こるずっと前からみんなでいっしょに構想していたはずであり、サーバーに残っていた故人達の原画もこの映画できっと使われたはずである。つまり、間違いなくこの映画はエンドロールに記されたスタッフみんなで作りあげたものであり、そのことをそっとこのシーンで語ったと解釈できなくもない。

さらに特筆すべきこととして、このシーンではヴァイオレットからアイリスへの「引継ぎ」も果たされている。序盤の、来年の海への讃歌にかこつけた「任せて。」というアイリスのセリフは、この場面に掛かる長い伏線である。京アニの残されたスタッフはこれからも故人達の思いを引き継いでアニメ制作を続けていく。安心して欲しい(「任せて」)。と、アイリスを通じて伝えていると解釈できなくもない。


⑭ヴァイオレットと白:

舞台挨拶で「京都アニメーション内ではヴァイオレットのことを“真っ白な人”と呼んでいる」とのこと。本作では白は火災の赤と煙の灰色を浄化する善いもので、ヴァイオレットもまたその属性を持っているという意味とも解釈しうるが、自動手記人形としてのヴァイオレットは無地の便せん、ギルベルトを画家に見立てて京アニの残されたスタッフ達の象徴とした時のヴァイオレットはまっさらの作画用紙・カンパスではないかと想像を巡らせれば、ギルベルトがヴァイオレットの愛を受け入れることは、京アニがもう一度作画用紙・カンパスを手にして創作を再開する決意の象徴でもあると解釈できないこともない。ちなみに、真っ白な表紙と裏表紙に多少戸惑いを覚えた人もいるであろうあの劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン公式パンフレット(題字はヴァイオレットを示す紫)は、このまっさらの作画用紙・カンバスを象徴しているのではないか。使われている紙のザラザラの質感も作画用紙のそれを模していると解釈できないこともない。

追記:視点が変わるが、劇中ヴァイオレットが最も白かったのは灯台に避難した時で、雨に濡れたのでトレードマークの青い上着を脱いで白のドレスだけになったことと、寒さのため顔の血の気がなくなったために白さが際立っていたためである。あの時、ヴァイオレットはギルベルトの「帰ってくれ」という拒絶に、今では彼の気持ちが少しはわかるからという理由で、ドア越しに彼の声を聴けたのでもう満足だと思い込もうとした。実に人間的な感情であるが、人々の素直な気持ちを引き出して、依頼者が前に進もうとする気持ちを紡いできたヴァイオレットでさえ自分の便せん、カンパスに自分ひとりでは自分のための希望の文字や絵は描けない。カンパスがあっても描き手がいなくては絵は完成しない。誰も一人では生きていけず、人が前に進むためには誰かの助けが必要である。ここに京アニが創作し続ける意義はある。人に愛がある理由がある。と解釈できないこともない。ちなみに劇中もう一か所、白のドレスのみのヴァイオレットがいる。ED後の指切りの場面である。こちらは描き手に出会えた作画用紙・カンパスが幸せそうにしている場面と解釈できなくもない。


⑮ヴァイオレットと紫:

主人公をヴァイオレットと名付けて京アニ大賞に作品を応募したということからも、原作者は始めから意識していたと推測するが、京アニと言えば宇治(周辺)。宇治といえば源氏物語。源氏物語と言えば「紫」の上。年の差恋愛という批判もあるが、古典の本歌取りと思ってみてもいいのでは。作中でも、(この結末では)「気持ち悪いでしょうか」と映画を観ている人達に対し気を使っているようなシーンもあるし。

ところで、源氏物語の作者は「紫」式部。人の心を紡ぐ物語を書いた人。


⑯デイジーが訪れた時の島の天候:

この日も曇天である。エカルテ島は地理的に晴れの日の少ない地域という設定もあるのだろうが、曇天の灰色は本作では火災の煙の象徴でもある。60年経ってもあの火災のトラウマは完全には消え去ってはいないのである。どれ程時が経とうとも無かったことにはならない事件だからである。しかし、この日は曇天の中大粒の真っ白な雪が灰色の空を覆い隠さんばかりに降っていた。これは、真っ白な「雪」も聖なる色として、煙のトラウマを浄化するものであるというメッセージと解釈できないこともない。そしてそれは、あの事件の煙のトラウマだけでなく、その後も我々の身に訪れるであろう数々の出来事がもたらす灰色の心をも浄化してくれるはずであろう。デイジーはヴァイオレットの足跡を追いかけて「雪」のエカルテ島を訪ねたことで、その真っ白な「雪」によって、両親とのわだかまりからいやされ、両親宛の手紙を書くことが出来た。CMの頃から真っ白い封筒と、降る「雪」を重ねることで、「雪」はヴァイオレットの象徴(Violet snow)とされている。今後我々に心の曇天が訪れた時、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品を思い出して欲しいという願いが込められていると解釈できなくもない。


ところで、デイジーが訪れた時、移転した新しい郵便局の花壇に植えてあった木の枝に、やけに大きく結んだリボンがあった。(あの大きさだと二本のリボンの端と端を結んで一本にしてからそれを一つの輪にしたようにも見える)。ヴァイオレットをレスペクトする島の郵便局員がヴァイオレットのことを忘れないように結んだものだと思うが、映画の初めにデイジーが祖母の家の窓に向かって伸ばした手を覚えているだろうか。あれを陸上競技のリレー走の次走者が伸ばした手と見立てて、あの結ばれたリボンがバトン代わりのタスキと想像してもらえば、デイジーの長い旅は、第一走者のヴァイオレットから第二走者のデイジーにタスキ(伝えたい思い、言葉にしないと伝えられない大切なこと)が受け継がれていく過程を表していたと考えることができる。

具体的には、映画冒頭、二本の轍が刻まれた道を、時計の秒針と思われる音(始めは柱時計の音が、途中(丁度sincerelyの字幕が入ったあたり)からは今風の電子音が使われ、この間に長い時間が経過したことがわかる。)を足音に見立てることで、画面上は見えないが、「何者か」がその道を前方に向かって歩いている(走っている)情景を思い浮かばせる趣向になっている。さらにラストでも同様の二本の轍が刻まれた道が映し出され、そこを歩いているヴァイオレットが途中で登場することで、「何者か」はヴァイオレットであったことが明かされる。そして、さらにカメラが彼女を追い越していくという描写をすることで、冒頭の道はラストの道より時間的に後の話であること、また、冒頭とラストの2つのシーンは、実はラストの道が冒頭の道に長い時間をかけて繋っていく一続きのシーンであることを暗示する作りになっている。この意味は、ヴァイオレット(またはヴァイオレットが寿命を全うした後はその精神)が、二本の轍の間を、デイジーのいる時代まで立ち止まることなく歩いてきた(走ってきた)ということである。そして、このヴァイオレットを、リレー走における「第一走者」(無論この時のタスキは髪を止めた左右のリボン)に、デイジーを「第二走者」に見立て、デイジーがお葬式が終わったばかりの祖母の家の窓から外(リレー競技としてはコース後方)を振り返り、ヴァイオレットがこちらに向かってくる気配を感じ取ってタスキを受け取る為に手を伸ばしてから、第二走者(候補)として走り始め、始めに訪れたライデンはテイクオーバーゾーン(バトン中継ゾーン)内を助走している最中で、エカルテ島を訪れて雪に浄化され癒されることでヴァイオレットを受け継ぐ次走者としての資格を確定し、移転した新しい郵便局(この建物は被害を免れた京アニ本社のオマージュでもある)まで辿り着いたところで、第一走者のヴァイオレット(この時ヴァイオレットはもうこの世にいなかっただろうから、彼女の精神ということになる)が追いつき、そこでデイジーがそのタスキを受け取り(バトンパス)、次の喫茶店のシーンで両親への手紙を書くことが出来た(ゴールした)と解釈できなくもない。


⑰ヴァイオレットが歩く道に刻まれた二本の轍:

二本の轍が刻まれた道をヴァイオレットはゆっくりと歩いている(走っていない)ので、このシーンをリレー走に見立ているという実感は沸きにくいが、上記⑯で検討した解釈が正しいなら、冒頭とラストの道は「第一走者」であるヴァイオレットが走ったリレー走のコースを示しており、そこに刻まれた二本の轍はトラック競技の「セパレートレーン」を示すために地面に描かれた二本の白線であろう。トラック競技で走行距離が長いレースは、走者は始めは「セパレートレーン」内を走らなければならないが、途中からレーンの区別がなくなる「オープンレーン」になる。冒頭の「轍の刻まれた道」のシーンから、足音も柱時計から電子時計の秒針音に変わって「アンの家につながるジグザグの道」あたりのシーンになると、走者の目線であるカメラの映像はジグザグの道のとおりには進まずに真っすぐ最短距離を進み、道にも二本の轍がなくなるのは、各走者が最短距離で走れる「オープンレーン」に入ったからということであろう。


ちなみに、ヴァイオレットが「第二走者の」デイジーにバトンパスした「伝えたい思い」とは何か。それは言うまでもなく、エカルテ島の喫茶店で両親宛ての手紙を書いた時に到達した「あいしてる」という言葉である。この「あいしてる」という言葉の意味は、ネットで多くの方々の考察にあるように、『ヴァイオレットとギルベルトが最後に成就することができた恋愛、男女の愛、古典ギリシャのエロス)』であり、『リュカがユリスに伝えることができた「いつまでも友達だよ。」という友情・友愛、古典ギリシャのフィリア』であり、『ホッジンズとC.H郵便社の面々や、マグノリア家四代で描かれた家族愛、古典ギリシャのストルゲー』であり、『無償の愛である隣人愛、古典ギリシャ・キリスト教のアガペー』という、この世界にある4つのすべての愛を含んでいることは言うまでもないだろう。


また、デイジーが両親宛ての手紙に書いた「あいしてる」のテロップが画面に映された直後に、ヴァイオレットが歩く轍が刻まれた道のシーンになることから、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンという映画は、「第一走者」である「ヴァイオレット」から「第二走者」である「デイジー」へ、そして再びヴァイオレットへ、陸上競技場のトラックのように円環状のコースを辿ってバトン(タスキ)が受け継がれていく構造になっていることがわかる。そうすることで、ヴァイオレットがデイジーに渡した「あいしてる」というバトン(伝えたい思い、言葉にしないと伝えられない大切なこと)はまたヴァイオレットの元に戻り、そうして今度はその「あいしてる」を彼女が私達宛ての「手紙」として届けてくれるのである。


ラストの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」というテロップには、ストーリーボードで、「タイトル」だけでなく「サイン」という二重の意味もあることが明かされているが、「サイン」とは、手紙の末尾に書く「署名」である。つまり、劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンはそれ自身が、ヴァイオレットから私達に宛てた手紙なのである。ところで手紙であるなら英文でも日本文でも、本文の後に「敬具」と書き、その後に署名するのが正式な形式である。おあつらえむきに英文ではsincerelyが「敬具」の意味にもなるので、これがその意味に使われているに違いないと何とか辻褄を合わせようと考えるのだが、冒頭のあの位置ではどうにも収まりが悪く、「sincerely」のテロップの背景とラストの「署名」のテロップの背景が同じ色合いなのでこの2シーンは一続きに繋がるという説もあったがあまりに強引すぎるし、長らくその意味が解らなかった。

現在私が推測していることは以下の通りである。sincerelyは今回は「敬具」の意味では使われていない。その理由は、sincerelyにはもっと重要な別の役割を持たせたから(今はそれ以上触れないでおく)。しかし、この手紙に「敬具」は存在している。英文の敬具は親しい人の間柄では「love」も使う。テロップで映された「あいしてる」こそが「敬具」でもあったのである。そしてテロップが出る直前にヴァイオレットを描いたあの「切手」を映すことで、その後に轍の間を歩いていたヴァイオレットは、先に考察した冒頭に繋がってデイジーに「あいしてる」のタスキを渡す「リレー走者」の役に加え、リレー走でトラックを一周回ってデイジーからもう一度「あいしてる」のタスキを受け取った後、私達にこの「手紙」を運ぶ「郵便配達人」の役にもなっていたことが判るのである。さらに加えるなら、ラストでヴァイオレットは後ろから来たカメラに追い越された後に足音だけになるが、これは人としてのヴァイオレットは寿命を全うして精神のみのバイオレットになったことを暗示するものであろう。そう考えると、ラストの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のテロップの意味は、一つ目はタイトルクレジット、二つ目が劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンという壮大な「手紙」の署名(敬具を意味するのは「あいしてる」のテロップ)、三つ目は生身の人間であったヴァイオレットが時を経て「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という名前(形のない精神)となったということではないか。そして、それは「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が人々の心の中に永遠に生き続けていることを示していると解釈できないこともない。


ところで視点が変わるが、ヴァイオレットが歩く道の前後に刻まれた二本の轍は、テレビ版EDの線路も含めて考えると次のような解釈も可能だと思っている。本作で嵐の時に刻まれた地面の溝が幾つにも分かれてしまったシーンを見た印象が強かったからである。人と人の関係は本来、2本の轍や線路のように、並んで寄り添って途切れることなくずっと続いていく。時に本作の嵐の時のように刻まれた地面の溝が幾つにも分かれてしまうこともあるが、雨がやみ日の光が当たることで地面が乾き何時しかそれも収まっていく。ヴァイオレットの役割は暗い夜道の灯りとなることで、轍や線路のように並んで歩む人々が道に迷ってお互いがはぐれないように、歩み(時)を止めないように、道しるべとなることであったと解釈できなくもない。ヴァイオレットにとってギルベルトの存在がそうであったように。さらに本作の灯台の光(故人達の思い)が京アニのスタッフにとってそうであったように。


⑱ラストの指切り:

ヴァイオレットとギルベルトの永遠の愛の約束と共に、亡くなった方々、京アニを応援する方々に対する京アニの決意の表明と解釈できないこともない。後ろの窓枠は十字架になっている。京アニがよく使う見立てである。


⑲追記:

あらためて考察する海と月の光:作中、火と煙を思い起させる赤や曇色と闇のトラウマをいやしたものは、白い雪、灯台の白色光、海、月の白色の光であり、これらはみな「背景」である。「背景」がしっかり描かれているから表現できた、京アニだからできたとあらためて実感した。

ところで、京アニ復活につながったもう一つの奇蹟は、世界中から大勢の人達の有形、無形の応援支援が届いたことである。ホームページ等で公式のお礼はされているが、このことを京アニが作品で伝えたいと思わないわけがない。本考察では、雪はヴァイオレット、灯台の光は故人達の思いを象徴したものと考えたが、海や月の光が象徴したのは、世界中のたくさんの人達の有形、無形の応援支援のことだったのではないか。海や月は自然、そして人々を取り巻く世界そのものである。どんなに辛い時があってもこの世界はこんなにも善意に満ちていて、支えてくれる大勢の人達がいる。そしてそれが京アニ復活の道しるべになった。と伝えることで、感謝の念と将来の希望を表そうとしたのではないか。


最後に、本作では赤は善くないものの象徴になってしまったが、さりげなく作中後半に解消されている。一つはギルベルトが幼いヴァイオレットに本を読んであげるシーンで、暖炉で赤々と燃える火はとても暖かく感じた。もう一つは花火で、連射の最中に一部ではあるが赤味が入っていた。もう大丈夫、京アニは赤も使えるようになる。と思わせてくれた。


その他の「考察」も是非どうぞ。


劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの考察2(ネタバレ注意)「ヴァイオレットが少佐に宛てた手紙」の考察 (fromtsukuba.com)


劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの考察3(ネタバレ注意)劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンで使われたギミックの考察 (fromtsukuba.com)


劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの考察4(ネタバレ注意)劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンで使われたギミックの考察2 (fromtsukuba.com)





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