ヴァイオレット・エヴァーガーデンのテレビ版1話から劇場版電波塔完成の時点までの作者はエリカ様である(したがって劇中劇の体裁となっている)。
エカルテ島でのヴァイオレットとギルベルトの涙の邂逅シーンで、ヴァイオレットが書いた最後の手紙が天に向かって飛んだと同時に、もう一つの手紙(広義)も飛んだ。あれはテレビ版第一話、アンシェネのヴァイオレットの病室から飛んだ「ヴァイオレットから少佐へ宛てた書きかけの手書きの報告書」である。この報告書はその後ライデンと思われる街中(ちなみにライデンの街は細部まで設定され、3DCGで作り込まれているそうである。)を通り行方不明になったのだが、テレビ版第一話のそのシーンを劇場版のこのシーンでもそのまま回想の形で挟み込んでいる。劇場版ではこのシーンの直後、「完成」祝いの花火(一つは電波塔の完成祝いだがもう一つ裏の意味が隠されている)と、エリカ様が公民館で上演するお芝居の「完成」報告のシーンに繋がることから、実はあの「報告書」が辿り着いたのはライデン市内にあるエリカ様の自室で、それを見つけたエリカ様が「ヴァイオレットの消息を伝える報告書」の続きをヴァイオレットの代わりに記録し続けていた(代筆していた)という裏設定になっていることがここで初めて分かるようになっているのである。エリカ様はテレビ版第一話から誰にも知られず一人でこの代筆を続け(それがテレビ版全13話そのものということになる)、途中「短編小説にして投稿したりもしながら」(と、「外伝」の中で自ら言及しているシーンがある。とするならば外伝やOVAのextraは彼女が書いた短編小説そのものという意味になる)、そして今回の劇場版はドールもやめて(執筆に本腰を入れ)、心機一転髪型も変え劇作(脚本)のプロであるオスカーに弟子入りまでして、電波塔が完成する1か月間の花火のシーンまでの脚本を担当していたのである。
エリカ様がヴァイオレット物語の記録を残してくれたので、原作者さんや京アニのスタッフがたまたまそれを見つけて小説化、アニメ化までなったという態にして、劇場版でその秘密が明かされるというこのギミックは、テレビ版第一話を伏線にしていることから、あの事件とは関係なく、テレビ版制作当初から温めていたものであろう。これだけなら、気づいた人だけ分かればいいくらいの小粋な演出に過ぎない。
しかし、2019年に想像もつかなかった事件が起こったため、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンにおけるエリカ様の役割は一変した。今まで(外伝まで)のエリカ様の役割は「ヴァイオレットに実際に起こった出来事の記録(報告)」だけでよかった。しかし、今回の事件後に作られた劇場版でエリカ様に託されたのは「物語(劇)の創作」だった。文字通り劇作家の役割を担うことになったのである。
この仕事は代筆屋としては高度な部類に入りextraでヴァイオレットがイルマに依頼された仕事にも匹敵するものだろう。
そのミッションの内容は、エリカ様が弟子入りしたオスカーがテレビ版七話で作った子供向けの戯曲の本歌取りである。すなわち、主人公が精霊の力を借りて怪物を倒す。その後長らく会っていない父のもとに帰還するのだが、怪物を倒した後は精霊使いの力を失ってしまうので、帰還するための移動方法がなくなりピンチとなる。そこで精霊の一人が一度だけ主人公の傘に力を与え、それを使って主人公はめでたく父親と再会する。主人公にヴァイオレット(のちにこの仮説は変更する予定だが)、怪物役にユリスの素直になれない心、精霊役に今回の事件で亡くなられた京アニの友人達が配された。このギミック(劇中劇)が選ばれた理由は、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン、すなわちヴァイオレット・エヴァーガーデン物語の集大成と位置付けられたこの作品を、アニメの中だけでも亡くなられた友人達の活躍による大団円で締め括りたいという切なる思いがあったからと推測する。
しかし、この「精霊の助けによる劇中劇」というアイデアには二つの問題がある。一つは、そもそもアニメ ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、あり得ない精巧な義手と、手紙が飛ぶことからしてまぎれもなくファンタジーなのだが、その他の設定には極限までリアリティーを持たせることで、義手は「魔法」で動くのではなく、ヴァイオレット世界にある何らかの「科学技術」によるものだと錯覚させる演出がなされている。だから「劇中劇」に「霊」や「魔法」を持ち込むことでその錯覚が溶けてしまい今までの苦労が水の泡になってしまう危険性があるのである。逆に言えばそれを承知で、アニメの中だけでも亡くなられた友人達の活躍による大団円で締め括りたいという切なる思いがあるのだろう。
もう一つはもっと重大である。劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの脚本は、当初の設定であったエリカ様が見聞きした事実の「報告書」ではなく、「アニメの登場人物」の一人であるエリカ様が筋書きを書いた、結末が予めわかっている「お話」ということになる。すると我々が「ユリスの死」や「ヴァイオレットの再会」で涙したことも、そういう結末(お涙頂戴)になるようすべてエリカ様が仕組んだ「お芝居」に過ぎないことになってしまうのである。
さらに、作中には、エリカ様以外の「アニメの登場人物」の中にもエリカ様が筋書きを書いていることを知っている人達がいると思われる描写がある。そうなると、仮にそれがヴァイオレットだとするなら、彼女は最終的には自分がギルベルトとゴールインできることを知っているが、灯台のシーンでは知らんぷりして「もう二度とギルベルトと会えない。」という「お芝居」をしたということになってしまうのである。
正直、この事実に気づいた時私は混乱した。そしてしばらくしてやっと、京アニの意図は下記のことだったのではないかと思い当たったのである。
すなわち、劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの脚本はRPGになっており、エリカ様はゲームマスター(審判役)だったとすると合点がいくのである。ちなみに、PRGとはプレイヤーが一堂に集まり、ゲームマスターが提示するルール・状況・シナリオ・課題に従い、ゲーム世界内での自分の代理人であるキャラクターにどんなことをさせるかを申告しながら、他のプレイヤーと共に課題達成へ向けてゲームである。そして、本作はプレイヤー自身が自分のキャラクター役にもなるという趣向になっている。エリカ様がゲームマスターとなり、プレイヤーとしてC.H郵便社チーム、ユリスパートチーム、エカルテ島パートチーム、そして精霊役に今回の事件で亡くなられた友人達を役者として招聘して出演してもらい、シナリオは「7話のオスカーが作った物語」に準拠するように指定したのである。エリカ様は最初の設定のみ担当し、後はプレイヤー達がそれぞれ決められた能力内で選択した行動によって脚本は進行するので、ルートによってはハッピーエンドにもバッドエンドにもなる。プレーヤー達もどうなるかは予想できない。そうであるなら灯台のシーンでヴァイオレットが「ギルベルトにお会いできただけで満足」という気持ちに追い込まれたのも、あの時点ではどう変わってもおかしくないので迫真のシーンとなりそれを見た誰もが涙したのである。そういう意味ではこの作品は「鶴瓶のスジナシ!」みたいなものでエリカ様の役割はそのプロデューサーと言えるかもしれない。
エリカ様以外の「登場人物達」の中にもエリカ様が筋書きを書いていることを知っている人達がいるという演出は、「パジャのスタジオ」で、劇中に登場するスタジオが制作しているアニメのキャラクターであるココやギーが夜になると魔法がかかって自由意志を持って動き出し、パジャやガーちゃん、カナ子といっしょに様々な冒険をするというギミックと共通するもので、今回京アニがこの演出を選択した意図は理解できる。京アニの現スタッフは、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で今までいっしょに作品を創ってきた戦友である二次元の「登場人物達」なら自分達と同様に今回起こった痛ましい事件について心から怒り悲しんでいるに違いないはずだから、この作品の中で亡くなった方々にできることがあるなら、作品の枠を超えてでも協力してくれるであろうと信じているからである。
追記:こんな風にも考えることもできる。2019年の痛ましい事件の前に劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンの登場人物と粗筋はほぼ出来上がっていて監督と当時の京アニのスタッフ達ともこれで行こうというコンセンサスはできていた。おそらくユリスパートもエカルテ島パートも筋は今とは異なるかもしれないが登場人物としては全員が出演する予定の人達だった。しかしあの事件の後残されたアニメーター達が、故人達のいない今、自分達はこの作品をもう一度作り続けられるのかと苦悩し続けたであろう時期を経て、やっと故人達の意思は京アニが復活することだと気づき、皆が前を向くことでようやく劇場版制作のめどが立った時、故人達のことをよく知っている、いやそれどころか故人のどなたかによって生み出されたかもしれない劇場版の新旧の登場人物達から、この作品を故人達が活躍する物語にして欲しい。そのためならどんなことでも協力する。という声が監督の耳に不意に聞こえたのかもしれないと。
では、次から具体的に京アニが仕掛けたギミックを考察する。
まずは精霊達の招聘である。これは、ネットで「もしや」「まさか」と囁かれていた、ヴァイオレットのリボンをRe-Bornと見立てる。つまり駄洒落である。普通こういったものは「ギャグ系」のアニメで行う。恐るべきことにそれを「シリアス系」のこの作品で堂々と大真面目に使ったのである。しかしこれは京アニにとっては不自然なことではない。私の二回目の考察のブログも書いたが、「氷菓」の関谷純が氷菓(アイスクリーム)をI scream(私は叫ぶ)と見立てて以来、過去作を大切にリスペクトし続けてきた京アニにとっては、駄洒落を使って想いを伝えることは正統な表現方法なのである。
一旦開き直ってしまえば、ギミックは比較的簡単に構成できる。そもそもエリカ様の中の人は「長門ユキ」でもある。「ハルヒ」の能力を一部盗むこともできる「ユキ」なら霊を招聘する本ミッションのコーディネートなどお手のものであろう。
具体的には、まず最初に亡くなって天国にいるブーゲンビリア夫人に頼んで自分の墓のある墓地でヴァイオレットの左側のリボンを本人に気づかないように地面に落としてもらう。そもそも勘の鋭いヴァイオレットがリボンを落とした時気づかないはずがない。これは人成らざる存在となったブーゲンビリア夫人に協力を願うことで解決した。これでヴァイオレットの左耳付近に何者かをRe-Bornする能力が与えられる。また、リボンはエカルテ島の形となって地面に落ちたので、大陸のどこかにあったエカルテ島(島のもともとの名前はフォ○ガンド○ス島だったかもしれない)にRe-Bornした精霊達が降り立った。
精霊達は2か所にRe-Bornしている。1か所はエカルテ島で、もう1か所はユリスの部屋にある13本の薔薇である。正確に言うと精霊達が降り立ったのはエカルテ島で、ユリスの部屋にも、そこにあった薔薇を端末にして回線を繋げ、エカルテ島とリアルタイムで交信できるようにしたのである。薔薇は本数で花言葉があり、13本は友情である。精霊となった友人達という意味になる。13本の薔薇で「自分達はここにいる。この回線を使って話せるよ」と表明したのである。どうやって回線を繋げたかというと、まずC.H郵便社の電話が鳴る。ヴァイオレットが電話に出る。薄暗がりで分かりにくいのだが電話の左隣にも入口のドアを挟んで花瓶に生けた薔薇があり、この薔薇が一時的に端末となる。ヴァイオレットが受話器を左耳に当てたので、電話線を伝わってユリスの左耳元にRe-Bornさせる能力が移動し、ユリスが自分の病室に帰ってベッドに横になると、ベッドの左側にあった薔薇が端末に変わり、13本の花言葉で「自分達はここにいる」と他のプレイヤー達に精霊チームのRPG参戦を表明したのである。
これでユリスパートでは、ヴァイオレット、ユリスとその家族、精霊達というプレイヤーがそろったので、主人公のヴァイオレットが精霊の力を借りてユリスの素直になれない心という怪物を倒すミッションに入るのだが、面白いことに、家族への三通の手紙の作成までは、ヴァイオレットは精霊達の力を全くと言っていい程借りずにミッションを成し遂げている。唯一手を借りたのは、出来上がった三通の手紙をユリスが亡くなった日に届けるという約束の指切りを薔薇の前で行ったことで、精霊達にこの約束の証人になってもらったことである。私は、ユリスのパートでの精霊達の役割は、精霊達によるヴァイオレットの卒業試験だったのだと思っている。たくさんの手紙を書くことで成長したヴァイオレットが精霊達の前で卒業試験を行い、非の打ちどころなく合格した瞬間であったと考えている。
ユリスパートではその後、ヴァイオレットがエカルテ島に渡った後にユリスが亡くなるというピンチが発生し、アイリスが見事に代役を務めたが、この時の精霊達はエカルテ島の灯台の光となって、プレイヤーが道に迷わないように応援に回っていたことは私の一回目の考察のブログで示した通りである。
ちなみに、私の一回目の考察のブログで、エカルテ島にいた眼鏡をかけ髭を蓄えた白髪のご老人は「あの方」であろうと推定したが、ユリスの入院している病院(バルセロナのサン・パウ病院がモデル)の医師も髪の毛の色は黒だが同一人物である(公式設定集を見るとあご髭の形を変えたため顔の雰囲気が少しだけ変わって見えるが)。彼が精霊達を代表してエカルテ島から薔薇の回線を通ってユリスの病院に赴き、クライマックスのユリス臨終の時、代役のアイリスも含む登場人物達の活躍をそっと見届けてくれていたのである。臨終の時のユリスの部屋には、ご老人が島で持ち歩いていたあの肩掛けのカバンがさりげなく置かれており、これこそが二人が同一人物である動かぬ証拠である。
ところで、ユリスパートには別の目的が隠されている。
ユリスの名前は公式パンフのユリス紹介ページに記載されたテルシス語をローマ字に直すとUlysseである。ところが、母親が読みあげた手紙の文末の署名は、ローマ字に直すとYurisなのである。京アニが書き間違えた(確かに京アニはよく書き間違えるがすぐに訂正版を出してくれる)のではなさそうである。そこで試しにYurisをYuriとsに分解してみると、Yuriはロシア語で人名に使われ、読み方はユーリー、ユーリィ、ユーレィである。文法的にはめちゃくちゃだが、京アニの十八番の駄洒落で思いを伝える手法が使われていると取って、ユーレィに英語の複数であるsがついたと考えれば幽霊`s=幽霊達とすることができる。強引な駄洒落ではある。本歌取りしたオスカーの作った物語の正式なキャラ名は「精霊達」であるのを「幽霊達」で我慢してもらったわけだが、何故そんなことをしたかというと、「登場人物」であるヴァイオレットとユリス(実はこの手紙が読まれる場面は悲しいことに協力してくれたユリスの死後になる)、それにユリスの両親にも「作品の枠を超えて協力してもらうこと」で、本筋であるユリスの物語の邪魔にならない形で、精霊達から「劇場に見に来て下さるであろう精霊達のご両親」へ宛てた手紙、「お父さん、お母さん、愛している」と伝える手紙をスッタフ、二次元のキャスト全員の力を借りて「代筆」したのである。伝えたい人、伝えたい思いがあるのに言葉では伝える事が出来なくなってしまった亡くなった仲間達の代わりに、アニメの力を借りて、彼らからご両親に宛てた手紙を「代筆」したのである。
少し複雑だが具体的にstory boardで見てみよう。一通目の宛名は封筒の表紙に書かれており「お母さんへ」(テルシス語をローマ字に直し、タミル語に翻訳して確認済み)である。宛名が「お父さん、お母さんへ」ではないことに着目して欲しい。(つまり「お父さんへ」と「シオンへ」の宛名が書かれた手紙は別にあるのである。)
よって一通目の手紙は母に関することだけが書かれているはずである。その目で見れば「お母さんが焼くパンケーキ・・・」の部分までが「母宛てのユリス(Ulysse)の手紙」であると分かる。そして、次の「お父さん。魚釣り・・・」の部分は、二通目の「父宛てのユリス(Ulysse)の手紙」であると分かる。これも父に関することだけが書かれているからである。短いと思うかもしれないが契約上あの料金で書ける字数はここまでなのである。
ところが、次に続く「僕、お父さんとお母さんの子供に生まれてきてよかった・・・。大好きだよ。」の部分は、「お父さんとお母さん」と書かれていることから両親宛ての手紙ということになる。よってこの部分からは代筆された「精霊達(Yuris)がご両親に宛てた手紙」なのである。だから文末のサインはYurisというスペルになったのである。おそらく今回書かれた手紙はシオンの分も含めて計四通で、どれか二つの手紙だけを一つの封筒にまとめて入れた(お父さんとシオンであろう)ので、封筒の数としては契約通り計三通になったのだろう。そして父は自分宛の手紙は母に渡して読んでもらい、シオン宛の分だけ代読した。
そう考えるとあのユリスとヴァイオレットのサムズアップは、自分の手紙の中に、サプライズで精霊達の思いを代筆した手紙も潜ませて構わないという契約成立のサインで、ヴァイオレットはその分を「お子様割引」にしたのだろう。ちなみに「お子様」とは精霊達のことである。なぜなら、精霊達は精霊達のご両親から見たら「お子様」だからである。
このことで、ベネディクトが焼きそばにこだわった理由もわかる。ベネディクトもエリカ様が筋書きを書いていることを知っているのである。そして、焼きそばの紙袋を持つ手つきは「幽霊(お化け)」を表すしぐさである。つまり、あれはベネディクトがエリカ様に、この脚本が「精霊達」ではなくて「幽霊達」というちょっと残念な言葉になってしまったことを茶化しているのである。ベネディクトは今回は出番が少ない(外伝は大活躍だった。今回も重要シーンに出ているのだが)ので多少拗ねているのかもしれない。カトレアもアイリスもヴァイオレットもそのことは知っていて、カトレアはベネディクトが茶化す前に機先を制しはぐらかし、アイリスは「話(🟰撮影)の邪魔」とまんまと本番撮影中なのに大声で反応してしまい、ヴァイオレットは完無視を決め込んだ。一方、ホッジンズは多分何も知らされていないのでポカンなのである。
一方、「主人公が故郷の父と再会するギミック」では、精霊達は「過保護」なくらい活躍する。ヴァイオレットは「最後の手紙」を村の少年に託し、振り返らずにあぜ道を歩いていく。あの手紙がどうしてビンゴのタイミングでギルベルトに届いたのか不思議だとネットでも百花繚乱であった。ディートフリート大佐が島に自分の部下を何人か連れてきてリフトの上方に潜ませ、頃合いを測りながらギルベルトの元にリフトを降ろしたのではという考察もあり、成程と思ったものである。また、ネットで見たのだが、あの灯台は灯油等を光源としたフレネルレンズで分銅式の回転灯の可能性があるとのこと、また分銅の下垂運動を水平回転に変えるのはあのリフトと同じ仕組みらしい。私の一回目の考察のブログで指摘したように、本作では灯台は精霊達の魂が集う場所である。そうであるならばあのリフトも同じである。そう考えるとあの時リフトの周りにいた村民はエカルテ島でRe-Bornした精霊の方々で、彼らがある人の合図の元に「ディートフリートの部下」の代わりに絶妙の頃合いでリフトを降ろしたのだろう。そして、後の考察でその理由は明らかにしてゆくが、この時精霊達も一斉にヴァイオレットの手紙に乗り込んだ。私は、ネットなどで確認できる一部の方々を除いて精霊のモデルとなっている方々のお顔は存じ上げない。また、それをあまり詮索することは適当でないと考えている。ただ、あのヴァイオレットから手紙を受け取った少年には京アニの数多の作品の演出を担当されたあの方の面影がある。ところでヴァイオレットは、劇中の学校のシーンで始めて彼に会った時、顔見知りの素振りは見せなかった。これは(生まれ変わりの)設定がこどもになっていたことをエリカ様が彼女に知らせてなかったためであろう。しかし灯台守の方(この方には色彩設計を担当されていたベテランのあの方の面影がある)が、ヴァイオレットが諦めてライデンに帰ろうとした時、自分の素性をヴァイオレットだけに明かし、その上で、なにかの秘密のサイン、たとえば「ねっ! すごいでしょ?」とヴァイオレットに言ってきた子供が監督のあの方ですよ。と教え、彼に手紙を託せば必ずギルベルトに渡るよう全面協力してくれる手筈になっているから。とそっと耳打ちしてくれていたのではないか。だから、ヴァイオレットはあそこで迷わず彼に手紙を託したのだろう。彼なら演出のプロなのでビンゴのタイミングでギルベルトに手紙を届けてくれる筈だし。リフトで降ろしたヴァイオレットの手紙の下にさりげなく「畳んだ麻袋」を敷く(その理由は言うまでもない事だが、ここまでお膳立てをしても、万が一ギルベルトが鈍感でヴァイオレットの手紙で心を動かさなかったら、その時はディートフリートにギルベルトを麻袋に詰め込んでヴァイオレットの前に放り投げてもらうため) というサプライズの演出もいかにも彼ならしそうなことだし。
前後するが、ヴァイオレットが少佐をぐうで殴る真似をするシーンがある。その直後に「冗談です。」というセリフが入り、ヴァイオレットは自分を心配してくれるホッジンズを気遣い冗談まで言えるくらいに成長したシーンだと通常の解釈では言われている。そしてその後に「明日の便で戻ります……郵便社に。戻って手紙を書きます。仕事がたまっておりますので」というセリフが入り、このセリフを素直に読めば「(郵便社に)戻って(たまっている代筆の)手紙を書きます。仕事がたまっておりますので」と言っているのだと思われている。実際その次のシーンは翌日ライデンの郵便社に戻るため港へ続く道を歩くヴァイオレットに繋がっていてここまでなら矛盾しない。
ところがその後しっくりしないことがある。道で出会った少年に渡したギルベルト宛の手紙の事である。あの手紙は一体何時書いたのだろう。また、あの夜あの心境であれだけの気持ちをよく手紙に書く事ができたものだ(いじらしい)と多くの人が思ったのではないだろうか。行きの船中で書いていた手紙ではないかと思った人はいるかもしれない。しかし劇中あの書きかけの手紙はヴァイオレットの手から離れて海に飛んでいったし、そもそもギルベルトに渡った手紙はその内容から雨の中ヴァイオレットが彼を訪ねた時より前に書かれたものであるはずがない。
種明かしをしよう。
先にヴァイオレットが少佐をぐうで殴る真似をするシーンの解釈を述べる。あれは実は扉を叩くしぐさなのである。ヴァイオレットはこの動作で「(ギルベルトの自宅の扉越しの直接会話では自分の意思を伝えることができず一度は諦めたがもう一度考え直し)、手紙を使って、もう一度だけ少佐の心の扉を叩いてみます。」と宣言しているのである。自責の念のため心を閉ざしたギルベルトに雨の中再会を拒絶され、今はギルベルトのその気持ちがわかるので、一度はもう諦めようとその場を去ったはずのヴァイオレットが、何故もう一度だけ少佐の心の扉を叩いてみようと翻意したのだろうか。それはユリスの死を契機に、生前ユリスの言った「その人に何を伝えたかったの。・・(あいしてるが)わかっただけ?」という言葉を思い出したからだ。と誰もが答えるだろう。もちろんそのことが90%くらいの比重を持つ主たる理由だが、別に10%くらいの比重はあるだろうもう一つの理由もあったのである。それは先ほど言ったようにこの直前に、灯台守の方から秘密のサインとなる言葉を言った子供は監督のあの方だから、彼に手紙を託せば全面協力してくれると聞いていたことである。この2つの理由があったからこそ、手紙を書くことでギルベルトの心の扉をもう一度開けようと決めることができ、それにすべてを賭けることにしたのである。
その上で、ヴァイオレットが言った「明日の便で戻ります……郵便社に。戻って手紙を書きます。仕事がたまっておりますので」のセリフを解釈してみよう。セリフに( )の部分を補って読んで欲しい。そうするとそれは「明日の便で戻ります……郵便社に。(灯台守りの方が準備してくれたベッドと机のある灯台の中の自分達の)部屋に戻って(今晩中にギルベルト宛の)手紙を書きます。(ライデンに戻った後の代筆の)仕事がたまっておりますので」と言っていたのだとわかる。これならヴァイオレットが灯台の自室に戻った後から翌朝までかけてギルベルト宛ての手紙を書き上げていた事に納得できるのである。
では、何故この場面でヴァイオレットは正直にホッジンズにこの事を告げなかったのだろうか。その理由のひとつは、ホッジンズには精霊がこの場面のプレイヤーに入っていることを知らされていない(それどころかエリカ様がこの物語を仕切っていることも彼だけ知らされていない可能性が高い)からである。二つ目の理由は、ホッジンズがビビリだからである。死んだカマキリでさえあれだけ怖がるのだから(学校の庭のあの位置なら、ホッジンズと子供達の会話はヴァイオレットにも聞こえていたはずである)、霊が加担しているなどとわかったらどうなることかと気遣って、ヴァイオレットは柄にもなく「冗談です」とあの場面でお茶を濁したのである。
ここで小ネタを紹介する。
ユリスがヴァイオレットにリュカの手紙を頼んだ時、ヴァイオレットが「お代は」と言った後、いかにも料金はいりませんよ。というオーラを出しながらサムズアップをしたが、日本版手話でサムズアップは「た」の意味である。映画では、ヴァイオレットのサムズアップを映し、カメラを反転してユリスの顔を映し、もう一度ヴァイオレットのサムズアップを映しているが、2回目でヴァイオレットはサムズアップを横に移動させている。これは「聲の形」を見たことのある人ならお分かりの通り濁点がついた語になるので、「お代は」の後、手話で「ただ」と続けたのである。ちなみにヴァイオレットの中の人の石川さんは、「聲の形」の手話が得意な「佐原みよこ」の中の人でもある。本作は今まで考察してきたようにお話(映画)と現実が相互に入り混じった世界観を持つため、登場人物の過去の属性までが無意識に作品に影響して、素が出た(ここは笑う所)のだろう。よって西洋っぽい世界観の中に「日本版」手話があっても、日本人の「佐原さん」が使ったのなら何ら問題ないのである。
いよいよ「主人公が故郷の父と再会するギミック」の仕上げである。劇中のヴァイオレットジャンプは、いかにも、本歌取りしたテレビ版七話の「傘ジャンプ」のセルフオマージュのように見えるが、あれは今回この作品をプロデュースしたエリカ様が未来の大劇作家になって雑誌の取材が来た時の話題作りにはなるだろうが本来は関係ない。よく考えれば「精霊が宿った傘」は、劇中では「ヴァイオレットが書いた手紙」である。つまり、「傘」に導かれて故郷に向かった「主人公」はヴァイオレットではなく、あの「手紙」を持って走ったギルベルトなのである。そして、本作のギルベルトは私の一回目の考察のブログで示したように京アニの残されたスタッフ達の象徴である。したがって、帰るべき父親の元とは、私の一回目の考察のブログで説明した「ヴァイオレット=無地の作画用紙・カンパス=アニメ制作の現場」の事だったのである。精霊達は、傷つき時が止まったままだった京アニの残されたスタッフ達を再び制作の現場に呼び戻してくれたのである。そしてそれをしっかり見届けてから、そのままあの「手紙」に乗って、月を道しるべに天に帰っていったのである。
このようにエリカ様の今回のミッションは過酷であった。しかし彼女はそれをやり遂げた。それが彼女のあの涙である。そしてエリカ様は最後に粋な演出をした。彼女は何故似合わない?髪型(お団子ヘア)に変えたのだろうか。あれは、お釈迦様ヘアである。お釈迦様の仏像は釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来と多々あるが、宇治だけに阿弥陀様であろうか。そうであるならは最後の電波塔を挟んだ対称的な花火の連射は平等院鳳凰堂である。花火の中には鳳凰堂に塗られている赤い色もあった。彼女なりに精霊達の菩提を弔ったのである。
その他の「考察」も是非どうぞ。
Commentaires